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1-20 四神奉納舞

作者: 柚月なぎ
last update 最終更新日: 2025-04-07 07:15:34

 その低く落ち着いた声の主は、白群宗主の白漣であった。各一族の宗主の中でも年長者で貫禄のある白漣は、すっと手を挙げて発言の許可を求めていた。

「白漣宗主、なにかご意見でもおありですか?」

 辺りが急にしん、と静まる。軽く礼をし、白漣宗主は顔を上げた。

「その方も公子のひとりとお見受けします。話を聞く限り、光架の民の血を引く藍歌殿の子であれば、資格は十分にある。他の一族のことに口を出すつもりはないが、奉納祭を続けるためには彼の力が必要なのでは?」

「お、お言葉ですが、この子にはそんな技術も能力もありません。ましてや貴重な四神の宝玉を浄化するなど、あり得ないことです」

 慌てて姜燈はその提案に首を振った。

「では、この事態をどう治めるんだ? 奉納祭を中断するなど聞いたことがないぞ」

 白群の隣に座していた緋の一族の若き宗主、蓉緋が肩を竦める。反対側に座る雷火や姮娥は、ただこの騒動を眺めているだけで口は出さなかった。

「ではこうしてはいかがだろう? 公子殿の言う通り代理として舞い、もし失敗するようならば罰を与えては?」

「それはいいな。能がないのにしゃしゃり出て来て場を乱したのだから、それ相応の罰を与えるのが妥当だろう。この奉納祭が前代未聞の延期となれば、金虎の威厳にも関わる」

 口の端を釣り上げ皮肉そうに笑って、蓉緋は話にのってくる。真っ赤な衣はどの一族よりも派手で、そのよく通る良い声も目立つ。そんな中、同じようにすっと静かに手を挙げる者がいた。

「······その仮面を付けたまま舞うのですか? 顔を隠して舞を舞うなど、神聖な四神に失礼かと」

 その低いがよく通る声の主に、大扇を広げて隣に座っていた白群の第一公子や、後ろに座っていたふたりの若い従者を含む、その場にいたすべての者が驚愕する。

(白群の第二公子は口が利けたのかっ!? )

 と、その場にいた者たちはほぼ同時に、同じ言葉を心の中で叫ぶ。

「ははっ! こりゃあ面白いものが見れたぞっ」

 手を叩いて大笑いをする蓉緋を無視して、白笶はそれ以上何も言わなかった。またざわざわと辺りが騒ぎ出す。

「静粛に、」

 飛虎は場が静まるのを待つ。その間、無明をまっすぐに見つめて、仮面の奥の瞳を窺う。微かに真っ赤な唇の端が上がっていた。

(お前の思う通りになっていると?)

 おかしいとは思っていた。その行動や言動に気を取られて、今の無明の状態を見逃すところだった。

(······霊力がほとんど感じられない)

 何があったのかわからないが、それも関係があるのだろうか。仮面を外させるために誘導させている。そんな気がしてならない。

「父上、万が一失敗するようなことがあれば、俺はどんな罰でも受けます」

 その言い方から察するに万が一にも失敗することはないのだろう。だがそれには大量の霊力が必要不可欠。しかし一度でも仮面を外せば、二度と元には戻せないし、その身がどうなるか予想もできない。

「無明を信じてみてはどうですか?」

 ずっと黙っていた虎珀が落ち着いた声で囁く。

「········いいだろう。やってみるといい」

 すっと立ち上がり、前へ出る。

 歩を進めて舞台の上に立つ無明の前まで行くと、近くへ来るように促す。無明は立ち上がり正面の端まで寄って行くと、再びその場に跪く。

 宗主が仮面に手を翳し印を切った瞬間、薄っすらと光を帯びた仮面が上から下にひび割れて、そのまま真っ二つになって落ちた。静寂の中にカランという乾いた音だけが広間に響いた。

「なんと······、美しい」

 誰が言ったのか。思わず声が出たのか。大勢の前で晒されたその顔は、誰もがその言葉の通りだと大きく頷く。

 年齢よりは幼さの残る童顔だが、色白で美しく整った顔は藍歌によく似ていた。伏せていた大きな瞳は翡翠色で、化粧はしていないのに唯一塗られた唇の赤い紅がよく映える。

 危惧していたようなことは何ひとつ起きなかった。宗主は頷き、無明は小さく笑った。ほとんど空になっていた霊力のおかげだろうかきちんと制御はできている。

 軽やかに立ち上がり、舞台の真ん中へ飛ぶと、笛を取り出し、口元に運ぶ。無明の霊力の源は呼吸。笛はそれを増幅させ広げる宝具。とんとんと後ろで交差させた右足のつま先を鳴らし、それを合図に澄んだ音色が奏でられた。

 その笛の音は、いつものでたらめな調子の音でもなければ適当な音程でもない、優しくも儚い音色だった。舞を舞いながら笛を吹き、舞台の上をくるくると回る。高い音が鳴り響いた瞬間から、誰もが言葉を失った。そして目が離せなくなる。

 派手さはないが華やかで、しなやか。美しい笛の音とそこから溢れる霊力に、東西南北に置かれた宝玉が光を湛えて反応する。

 あっという間に半刻が過ぎ、最後にくるりと回転して舞台の上にそのまま片膝を付いたその時、四色の光の柱が邸の天井に向かって同時に伸びていくのが見えた。

『――――我らが主に、拝礼する』

(······どういう、意味?)

 無明の頭の中に直接響くその声は、いくつもの声が重なり合っており、同時に舞台の周りから上がった歓喜の声が反響したかと思えば、どんどん遠のいていく不思議な感覚に囚われる。

『あなたが来てくださるのを、待っています』

『時を経て、再び契約を交わす時が来たのだ』

『待っておるぞ、神子』

『我らはあなたと共に、』

 立ち上がって光の柱を見回す。頭の中に響いていた声はやがて沈黙し、光の柱も薄れていった。

 ひらり、はらり。

 視界を過ぎった薄桃色の花びら、一枚。

 ゆっくりと落ちて来た花びらを手のひらにのせ、ふと天井を見上げる。そこには色とりどりの花々が舞い散る美しい光景が広がっており、まるで舞台に立つ無明を祝福しているかのようだった。

✿〜読み方参照〜✿

白漣(はくれん)、蓉緋(ゆうひ)、飛虎(ひこ)、藍歌(らんか)、虎珀(こはく)、姜燈《きょうひ》

光架(こうか)、白群(びゃくぐん)、緋(ひ)、金虎(きんこ)、雷火(らいか)、姮娥(こうが)

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     改めて正面から本邸に入ることを許されると、なんだか逆に後ろめたさが残った。強行突破した時の方が生き生きとしていた気がする。 いつもの若い従者ではなく、本邸の中年の従者の後ろを間隔をあけてついて行く。すれ違う従者たちは、仮面があろうがなかろうが、相変わらず珍しいものでも見るような眼差しで無明を見てくる。 そういう眼をされるといつもの調子でへらへらと笑ってみたり、手をひらひら振ってみたり、くるくると回ってみたりと、どうしてもふざけたい気持ちがわいてきてしまうのだが····。なんとかその衝動を抑えて大人しくついて行くと、立派な部屋の扉の前に案内された。「宗主、連れて参りました」 入りなさい、と奥の方から声がして、従者は「失礼します」と扉を開いた。そこには宗主、夫人、義兄たち、竜虎や璃琳、そして他の親族たちが揃っていた。 無明は部屋に入り、宗主に向かって挨拶をすると、一族の者たちがこちらに注目する中、部屋の真ん中で立ち止まる。 奉納舞の衣裳のままでやって来た無明を、なにか言いたげな様子で睨んでくる虎宇だったが、無暗に発言すれば面倒だと察したのか珍しく大人しくしていた。「では、改めて説明してもらおう。あの奉納祭の前に何が起こっていたのか」「はい、父上」 親族たちに囲まれた中心で、無明は臆することなくまずは一礼する。「その前にひとつ、お願いがあります」 なんだ、と宗主は問う。立ち上がり宗主の目の前まで歩きその場に跪くと、無明は懐から小物入れを取り出す。「ここにいるみんなに、この紅を塗ってもらいたいのです。男も女も関係なく、みんなに、です」「······なんのために?」 さすがに唐突すぎたのか、宗主も驚きを隠せないようだった。まあ確かに理由くらいは知りたいだろう。男が紅を塗るのは抵抗があるだろうから。 案の定。「まさか、お前の気色の悪い趣味に俺たちを付き合わせる気か? 俺は絶対に嫌だからな!」 第二公子の虎宇が大声で怒鳴る。それに合わせるように他の親族たちも各々声を上げる。まあそういう反応にならない方がおかしいだろう。「父上、何も言わず、俺の言う通りにしてもらえばすべてが解決されるはずです」 まだなんの事情も聴いておらず、それなのに言う通りにしろというのも横暴だ。しかしふざけているわけでも、趣味に付き合わせているわけでもない。これはとても

  • 彩雲華胥   1-23 藍歌の不安

     夕方になった頃、頬に触れられた冷たい手に気付いて目が覚める。「········母上、もう起きても平気なの?」 困ったような顔で藍歌は見下ろしてくる。「ええ。でも今度はあなたがそんな状態だったから、驚いてしまったわ」 自分の寝台の下で倒れていた無明の姿を見た時、心臓が止まるかと思った。目が覚めて最初に視界に写った我が子は、顔色が悪くとても苦しそうに息をしていたのだ。だが今の力が抜けた自分の腕では寝台に運ぶこともできず、額の汗を拭ってやることくらいしかできなかった。「まだ起き上がらない方がいいわ、」 無理に起き上がろうとしている無明の肩を抱いて優しく諭すが、ふるふると首を振ってなんとか身体を起こす。「大丈夫。さっきよりはずっと楽····って、あれ?」 なんとか身体に力を入れて起き上がろうとしたその時、身体に掛けられていたのだろう薄青の衣が、膝の上にはらりと落ちた。毒が回っていたはずの身体がかなり楽になっている。薄青の衣を軽く握って、無明は白笶が毒の処置をしてくれたのだと察する。(目が覚めるまで、ここにいてくれれば良かったのに。奉納祭の御礼もまだ言ってない····) 外の様子を見れば夕方になっていた。どうやらあれからかなりの時間、ここで眠っていたようだ。「母上、父上からの使いはまだ来ていないよね?」「なにかあるの?」 こく、と頷き、藍歌が倒れた後に起こったことをすべて話す。奉納舞が上手くいったことや、その後のことも。「では、あの方がこんな企みを? いったい何のために、こんな、」 正直、あまり関わりのない人物の名前が出たことに、藍歌も腑に落ちない表情をしていた。「それはもちろん、本人の口から、宗主の前できちんと話してもらうよ」 どんな言い訳をしようが、絶対に言い逃れができないようにする。そして正当な罰を下してもらうことが、今回の件のけじめなのだ。「母上の方こそ、まだ身体を休めていた方がいい。俺は大丈夫だから、」 ね、といつもの無邪気な笑みを浮かべ寝台に促す。仕方なく、藍歌は言われるがままに元の場所へ戻った。「失礼します。宗主より公子様にお呼びがかかりました。準備が出来ましたら、お声掛けください」 外から聞こえてくる声に、うん、わかった! と無明は答える。衣裳を着替えるのも面倒なので、髪の毛だけいつものように後ろで一本に括る。赤い

  • 彩雲華胥   1-22 竜虎の苦悩

     奉納祭の後、竜虎や璃琳たちのようなまだ若い者たちは解放されたが、奉納舞の一件もあってお詫びの意味で宴が用意された。姜燈夫人が急遽機転を利かせて開いたため、従者たちは今も慌ただしく仕事に追われているようだ。 奉納舞での無明の言葉が気がかりだったので、竜虎は本邸を離れ別邸へ向かうことにした。璃琳もついて行きたいといったが今回は我慢してもらった。 無明と藍歌夫人が住まう邸の低い塀の前を通りかかった時、薄青色の衣の青年が中へ入っていく後ろ姿が見えた。(あれは······白笶公子?) なぜあのひとがこんな所に? という疑問と、昨夜のこともあって、竜虎は少し心配になってこっそりと後を追う。(······そいういえば、あの時もらしくないことをしていた) 彼が大勢の前であんな風に発言をする姿など、一度として見たことがない。少なくとも奉納祭のように、他の一族が集まるような場で彼が言葉を発した所を見たことがないのだ。(俺たちが先に帰った後、なにかあったのか?) 自分が目を覚まして庭に出た時も、ふたりで何か話していた。初対面のはずなのにあの距離感も気になった。ぶんぶんと頭を振って、竜虎は巡らせていたものを振り払う。 なんにせよ、そもそもの原因は明らかだ。(あいつ····本当になんなんだ? 急にまともな姿を見せる気になったってことか? それとも単純に藍歌夫人のために動いただけ?) 無明のあの仮面が外され、その顔を初めて見た時、不覚にも言葉を失った。そしてあの見事な笛の音と舞が、今も脳裏に焼き付いて離れない。 そんな事を考えている内に、白笶はどんどん先に進んでいく。けして広くはない邸だが、部屋はいくつかある。しかし彼は辺りを見回すこともなく、迷わずにその一室へと足を向けた。 竜虎は邸の中へは入ったことがなかったので、その様子から彼がここに来たことがあるのだと確信する。そうなるとあの時の彼の言動にも納得がいく。憶測だが、自分たちが去った後、なにか経緯があって無明と共にこの邸に来たのだろう。 あの仮面は力を封じるための宝具だった。 無明が舞を舞うための策として白笶に協力を頼み、白群の宗主まで巻き込んで、仮面を外すための流れを作らせたのだ。隣の席の緋の宗主がのってくれたのは幸いだったろう。(だが、彼がそれをしてやる義理はないはず) 助けられたのはこちらで、恩があ

  • 彩雲華胥   1-21 痴れ者、跪く

    「今のは······、」「見事な舞だったぞ、公子殿! 花見酒なんて粋なことをする」 上機嫌になった緋の宗主が、盃を掲げてこちらに声をかけてくる。正直、このどこからか降って来る無数の花びらたちは、無明が用意したものではない。 おそらく、あの声の主たちがやったのだ。宝玉の主たち。四神。どうやらあの声は、自分にしか聞こえていなかったらしい。(なんで俺が? それに······待っていると言われても困る。俺はこの邸から出るだけでもひと苦労だっていうのに) この紅鏡からは離れられない。 そもそも彼らの言う神子でもない。 ふと、白笶と眼が合った。現実に戻されるように本来の目的を思い出す。こく、と頷き口元を緩める。目的のひとつは達成したがこれからが本題なのだ。 長い時間霊力を消耗した上に、笛を吹きながら長時間舞っていたというのに、無明は息ひとつ切らしていなかった。舞台を下り、そのまま宗主や姜燈夫人の前に立つと、ゆっくりと跪いてそのまま頭を下げた。「出過ぎた真似をしたことを、お許しください」 予想もしていなかった言葉に、夫人は驚いた顔をしていた。いつもの言動からは考えられないほど謙虚で礼儀正しいその姿に、その場にいる親族の誰もが目を疑う。「いえ······助かったわ。あなたがいなければ奉納祭自体が成り立たなかったわ」「母上、こんな奴に礼など不要です。最初のあの姿で十分恥を晒しました。望み通りに罰を受けさせるべきです!」 虎宇はふんと鼻を鳴らして無明を睨む。その理不尽な言動に無明は頭を下げた姿勢のまま、唇を軽く噛みしめる。「母上、それはおかしいです。あいつはちゃんと舞を舞って、四神の宝玉も浄化されました。それよりも藍歌夫人が心配です」 兄の滅茶苦茶な言いがかりを見ていられなくなった竜虎が、思わず反論をする。お前はどっちの味方なんだと、睨まれた。「とにかく、すべては奉納祭が終わってからだ。あとで使いの者を送るから、それまでは邸で控えているように」 わかりました、と無明は宗主の提案に頷く。再び舞台の方へ向き直ると、そのまま無言で広間を後にした。 賑やかしい広間を抜けて渡り廊下の方を歩いていた時、ひとりの従者が駆け寄ってきた。それはいつも邸に膳を運んできたり、周りの世話をしてくれている若い従者だった。騒動の際、広間の入り口で無明の衣を遠慮なく引っ張り、必死

  • 彩雲華胥   1-20 四神奉納舞

     その低く落ち着いた声の主は、白群宗主の白漣であった。各一族の宗主の中でも年長者で貫禄のある白漣は、すっと手を挙げて発言の許可を求めていた。「白漣宗主、なにかご意見でもおありですか?」 辺りが急にしん、と静まる。軽く礼をし、白漣宗主は顔を上げた。「その方も公子のひとりとお見受けします。話を聞く限り、光架の民の血を引く藍歌殿の子であれば、資格は十分にある。他の一族のことに口を出すつもりはないが、奉納祭を続けるためには彼の力が必要なのでは?」「お、お言葉ですが、この子にはそんな技術も能力もありません。ましてや貴重な四神の宝玉を浄化するなど、あり得ないことです」 慌てて姜燈はその提案に首を振った。「では、この事態をどう治めるんだ? 奉納祭を中断するなど聞いたことがないぞ」 白群の隣に座していた緋の一族の若き宗主、蓉緋が肩を竦める。反対側に座る雷火や姮娥は、ただこの騒動を眺めているだけで口は出さなかった。「ではこうしてはいかがだろう? 公子殿の言う通り代理として舞い、もし失敗するようならば罰を与えては?」「それはいいな。能がないのにしゃしゃり出て来て場を乱したのだから、それ相応の罰を与えるのが妥当だろう。この奉納祭が前代未聞の延期となれば、金虎の威厳にも関わる」 口の端を釣り上げ皮肉そうに笑って、蓉緋は話にのってくる。真っ赤な衣はどの一族よりも派手で、そのよく通る良い声も目立つ。そんな中、同じようにすっと静かに手を挙げる者がいた。「······その仮面を付けたまま舞うのですか? 顔を隠して舞を舞うなど、神聖な四神に失礼かと」 その低いがよく通る声の主に、大扇を広げて隣に座っていた白群の第一公子や、後ろに座っていたふたりの若い従者を含む、その場にいたすべての者が驚愕する。(白群の第二公子は口が利けたのかっ!? ) と、その場にいた者たちはほぼ同時に、同じ言葉を心の中で叫ぶ。「ははっ! こりゃあ面白いものが見れたぞっ」 手を叩いて大笑いをする蓉緋を無視して、白笶はそれ以上何も言わなかった。またざわざわと辺りが騒ぎ出す。「静粛に、」 飛虎は場が静まるのを待つ。その間、無明をまっすぐに見つめて、仮面の奥の瞳を窺う。微かに真っ赤な唇の端が上がっていた。(お前の思う通りになっていると?) おかしいとは思っていた。その行動や言動に気を取られて、今の

  • 彩雲華胥   1-19 痴れ者、舞台にて弁舌をふるう

     夫人の顔色がさあっと青ざめる。金虎の一族の皆が夫人と同じ心境であったはずだ。「誰だ、あの仮面の少女? 少年? は」「仮面といえば、ほら、例の"ちょっとあれ"な第四公子では?」「だがあの衣裳、女物では····"ちょっとあれ"な第四公子だけあって、そういう趣味もあったとは、」 その姿に対して、その場に騒めきが広がり始めた。そんなことなどまったく気にもとめずに、美しいひらひらとした女性用の舞の衣裳を纏い、真っ赤な口紅を塗った仮面の少年が颯爽と舞台の真ん中に舞い降りた。 白を基調とした薄い衣の裾は赤い金魚の尾のように美しい色合いで、中に纏う朱色の下裳がよく映えた。髪の毛は左右ひと房ずつ赤い紐と一緒に編み込まれ、後ろで軽く括られている。 しかし仮面というたったひとつの特徴だけで、全一族が同時に脳裏に浮かべたのは、"ちょっとあれ"な第四公子の一択だった。噂ばかりで本当に存在しているかもわからない、金虎の第四公子。あの数々の不名誉な噂はどうやら本当だったようだな、と一同が興味津々だった。「お願いですから、こっちに戻ってきてください無明様!」 若い従者は広間の入り口から先には入ってこれないようで、だいぶ憤っていた。 やがて広間がその中心にいる仮面の少年に注目し始めた頃、夫人がなんとか感情を落ち着かせ抑えた声で訊ねた。「無明、この騒ぎはなんなの?」 夫人は、なぜその衣裳を纏ってここに立っているのかとは問わなかった。逆に宗主は彼女になにかあったのだと確信する。「母上が"起きられない"から、俺が代わりに来たんだ。ほら、綺麗でしょ?」 くるっと回ってみせると、ふわりと軽い衣が円を描くように一緒に舞い上がる。(やはり、なにかあったのか······だがこれはどういう考えで動いている?) 今は見極めるのが先決と、宗主はその場から動かず、舞台の上に立つ無明と隣で苛立ち始めた姜燈の様子を窺うことにした。(あいつ····あんな格好でなにをしてるんだ?) 呆然と、竜虎は舞台に立つ神子衣裳の無明の姿を見つめ心の中で思わず呟いた。目をまんまるにしてその場で固まっている璃琳は、もはや驚きすぎて言葉を発することすら忘れてしまっている。「だれか、その子を舞台から降ろしてちょうだい。早く藍歌夫人を呼んできて」 来客の前だからだろう、いつもの三倍は大人しく引きつった作り笑顔で夫

  • 彩雲華胥   1-18 招かれざる者

     始まりの神子によってこの地が拓かれた後。光架の民の中から約百年に一度の間隔で、神子の魂を持つ赤子が生まれるようになる。 成長し十五になると山を下り、各地を巡礼。その地を守護する四神と契約を交わし、その命を国の守護のために尽くすことを誓約する。 始まりの神子と同じ魂を持つ者と四神の関係は主従で、四神は神子の命にしか従わない。そのため各地の一族にとって神子の巡礼はなくてはならないものであった。 その頃のこの国は今以上に怪異で溢れており、妖獣や妖鬼も多く存在していた。当時の神子は、鬼術を操る烏哭の一族と彼らに従う邪悪なモノ、それらを自らの命を以って伏魔殿に封じ、事態を治めたという。 しかしその巡礼は五百十数年前の晦冥崗での大戦の後、一度も行われていない。神子の魂は伏魔殿に多くの邪を封じる代償として、この世に生まれることはなかった。 その打開策として行われるようになったのが、一年に一度の奉納祭。奉納舞を行うことで四神に祈りを捧げ、この地の守護を願うのだ。百年祭の四神奉納舞が特別なのは、かつて神子が巡礼し、契約を交わしていた時期が百年に一度だったから。 各地を守護するそれぞれの四神の契約主は、最後の神子のままになっているため、四神は直接ではなく、宝玉を媒介にして間接的に力を貸している状態だった。 故に、その地の穢れが溜まれば浄化が必要になる。それが百年祭の特別な四神奉納舞であった。通常の奉納舞との違いは、舞う時間が倍以上長いということと、霊力を大量に消耗するということ。**** 中央に置かれた丸い舞台は、歩幅でいえば端から端まで縦横で五歩ずつくらいの幅だろうか。東西南北、東に青、西に白、南に赤、北に黒の宝玉が置かれおり、さらにその舞台の中央には、四神の長で中央を守護するという黄龍が描かれていた。 奥の席に金虎、左側に白群と緋、右側に雷火と姮娥の一族が並んで座っている。 奉納祭が始まると、古くから一族が代々読み上げてきた長い祝詞を、金虎の宗主が重みのある声で読み上げていく。続いて各一族が順にそれぞれの四神へ祝詞を捧げていく。 半刻ほど形式的な儀式が厳かに行われた後、従者たちによって膳が運ばれてくる。綺麗に並べられた精進料理と、盃に注がれていく酒。先ほどまでの重たい雰囲気は消え、賑やかな声すら聞こえてくる。 奉納舞は四神に捧げるものだが、賑やかで華やか

  • 彩雲華胥   1-17 決意

     白笶は袖から鍼を取り出し、的確に経穴にうっていく。しばらくすると、心なしか藍歌の顔色が先ほどよりもずっと良くなっているようだった。「······良かった、楽になったみたい」「毒が抜ければ楽になる。だが、今日の奉納舞は諦めた方がいい」 道中の会話で、奉納舞を踊るのが自分の母親だと言っていたのを聞いていた。無明は藍歌の額に浮かぶ冷や汗を布で拭い、心配そうにじっと見つめていた。 昨日の夕方に届けられた新しい衣裳は、そのまま綺麗に畳んで置いてあった。つまり衣裳に仕込まれた毒ではない。状況を見るに、藍歌は先に化粧をしていたようだった。 鏡台の前で倒れていたから間違いないだろう。  違和感はそこにある。「母上はゆっくり眠ってて。後のことは俺がなんとかしてみせるから、」 頬に触れ、安心させるように笑って見せる。眠っているため返答はないが、こうなることを予測していなかったわけではない。ただ今回の件はあまりにも悪質すぎる。今まで様々な嫌がらせは受けてきたが、これは到底赦されるようなことではない。 白笶が無言で部屋を眺めながら歩き回っていることに何か言うつもりはなく、たぶん原因を探しているのだろうと悟る。(けど衣裳まで新調させて、今日の奉納祭を成功させようと、あんなに力を入れていた姜燈夫人が、土壇場でこんなことをするかな?) 口元に眼がいった。ずっと違和感があると思っていたが、改めて藍歌の顔をよく見てみる。そしてふと気付く。こんな派手な紅を藍歌は持っていただろうか?と。(この紅になにか····?) 無明は、藍歌の唇を彩る血のように鮮やかな口紅を、躊躇いもなく自身の親指で軽く拭う。 それを自分の口元に運ぼうとした時、やめなさい、と突然手首を握られ止められる。同じことを思ったのか、部屋を物色し鏡台の上にあった紅を手にした白笶が隣にいた。「思っている通り、これが原因だろう」 うん、と無明は頷き、少し震えた手つきで、藍歌の唇を彩る異様なほど赤い紅を綺麗に布で拭った。 夕方の記憶を辿る。 藍歌が箱を開けた時、無明も隣にいた。美しい衣裳と共に添えられた小物入れのような物があった気がする。犯人の目的は奉納祭を邪魔すること? それとも藍歌に危害を加えること? いずれにせよ、こんなことが赦されるわけがない。たとえ謝られたとしても、赦すわけがない。「······公

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